自分インタビュー[0003]20200708

●今日も行きます、自分インタビュー

 

Q お母様はどちらの出身ですか?

A 横浜です。実家は子安で、父(私の祖父)は布団職人をしていました。その後、川崎大師近くで布団店を営むことになりますが、母の長兄一家もそこに同居していて、私の一家が住んでいたアパートが近かったので、小さいときはよく遊びに行っていました。その長兄と次兄、そして長女である私の母、という3人兄弟だとずっと思っていたのですが、死後、母が次女だったということが判明しました。
 母は2007年9月27日に、15年にわたる脳梗塞との闘病生活の末、亡くなりました。この時も、様々な手続きのために戸籍謄本が必要になり、父が取り寄せたところ、そこには「次女」という記載がありました。父も初めて知ったようでした。結婚のときにそういう話は出なかったのかと思いましたが… それが父なんですね。

Q ずっと川崎で育ったのでしょうか?

A 生まれてから、数回ごく近くの範囲で引っ越しをしたと聞いています。父の勤めのせいでしょうかね。いずれにしろ前述した祖父一家の家の周辺に住んでいました。祖父の布団店は間口より奥行きの方が広い、住居兼用の建物だったと記憶しています。店に入るとすぐに2階の物置に上がる梯子のような階段があり、母の長兄の娘(一20200621142657 歳年上のいとこ)と一緒に上り下りして遊んでいました。写真はその家の前の道で撮ったものだと思います。かなり広い道で、店の隣は大きな運送屋でトラックが何台も出入りするようなところでしたが、道は舗装されたりしていません。土です。右から母の長兄、祖父、長兄の奥さん、前にいるのが従妹、次兄夫婦、その前で母に抱かれているのが私です。頭がでかいですね。

 祖父一家にはとても可愛がってもらいました。後に祖父一家も、私の家も引っ越して、離れた所に暮らすようになるのですが、頻繁に泊りに行っていました。お正月は必ず祖父の家で迎えていた時期もありました。

続きます。

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自分インタビュー[0002]20200707

●昨夜はブログを書き始めた途端に睡魔に襲われ、たまらず寝てしまった。

●自分インタビュー、再開します。

 

Q どんな両親でしたか?

A 私が生まれた時、父は30歳。母25歳。結婚したのは昭和32年。見合い結婚でした。母のすぐ上の兄の結婚相手の親族を通じて父が紹介されたとのことですが、詳細は把握していません。今存命なのは、母の兄の結婚相手(伯母さん)だけなので、機会があればそのあたり話を聞いておかないと、わかる人がいなくなっちゃいますね。
 父は群馬県多野郡万場町大字小平字塔ノ沢の出身(現在の神流町)。戦前は小作人を多数抱える大きな家だったようで、父が子どもだった頃は、家に子守りが何人かいたそうです。6人兄弟の3番目と聞いていましたが、数年前に父が亡くなった時、保険関係の手続きのために出生地(神流町)の役場から戸籍謄本を取り寄せたら、幼少期に亡くなった兄弟が他にもいて、私が理解した範囲では8人兄弟の4番目ではなかったかと思います。
 父の父(私の祖父)は、家業(農業など)の傍ら町会議員をやっていたようですが、父が高校を卒業し、東京に出て専門学校で英語の勉強をしていた20代の頃、夜道を自転車で帰宅中に崖の上の道から川原に転落して亡くなったと聞いたことがあります。
 町議会議員の選挙がらみで何やらトラブルを抱えていた、というような話を昔、親族の集まりで聞いたことがありますが、詳しい内容はほとんど遠い記憶の彼方で、霞がかかってよく見えません。

Q 町会議員だったんですね。

A そうですね。父はその手のことをやらないというか、忌避する人で、子どものころ住んでいた団地の住民組合のようなものに参加する(役員ではないよ)ことを極端に嫌がり、そのことで母といさかいが絶えない人でした。「公」的な役割を果たすのは絶対嫌だ、と言ってはばからない人だったので、祖父が「公」の代表みたいな仕事をしていたとは、子どもの頃に聞いた時にはかなり意外な気がしました。祖父が議員だったことが父の人生に影響していたのかもしれませんね。よく考えてみたい問題です。

●書き始めたら記憶がどんどん引き出されてきて止まらない。仕事があるので今日はこの辺で。

続きます。

 

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自分インタビュー[0001]20200706

●コロナ自粛期間中に考えた企画を始めようと思う。

●35年以上コピーライターをやってきて、最近の仕事の中心は取材インタビューによる原稿作成になってきた。

●コピーライターとしては珍しいパターンだとおもう。インタビューが多くなったのは2000年前後。転職してある制作会社に所属して、建設機械の情報誌の制作に携わるようになってからだ。

●これまでインタビューした人数は、正確なところは把握できてはいないが1200人を上回ると思われる。(インタビュー対象が親子というパターンも最近多く、それを正確にカウントすると人数はもっと増えそうだ)

●会社社長から大学の学長、小学2年生までいろいろな人を相手にインタビューしてきたが、自粛中にこれまでインタビューしてきた音声データを整理していて、インタビューしたことが無い奴がいるのに気が付いた。

●自分である。

●ということで、始めます。自分インタビュー。

 

Q お名前は?

A 新井明人

Q 生年月日は?

A 1958年4月28日。調べたら月曜日でした。時刻は不明。親に聞いた覚えもないんですが、忘れてるのかな。

Q 出生地は?

A 神奈川県川崎市、今の川崎区ですね。父親が当時日本鋼管(今はJFEスチールとかいうのかな)の京浜事業所で働いていて、川崎大師のアパート住まい。その近くの産院で生まれたようです。へその緒を保存している箱が残っていて、表面に産院名が記されているんですが、古くてかすれて読めません(62年前だもんね)

続く

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新コロナ日記20200706

●熊本の豪雨被害の実態把握もままならないうちに、また豪雨が九州地方を襲っている。

気象庁は福岡、佐賀、長崎の3県に、「警戒レベル5」にあたる大雨特別警報を発表したとのこと。もうすでに甚大な被害も出てしまっているが、これ以上被害の広がらないことを心より願う。

●熊本に関する報道の中で、避難所に避難した人のインタビューがあった。「コロナどころじゃなくてマスクしないで逃げてきた」という。幼い女児とともに避難した母親と思しき人は、「暑くてマスクしてられない」と嘆く。

●避難所でマスクが配布されていたが、避難所はスペースの制約もある。疲労も重なれば、コロナ以外の感染症への対応もさらなる注意が必要であろう。

●しかし、毎年のように発生する被害の様子が、毎年同じ様子なのはどうにかならないのだろうか。治水治山技術は進歩しているのだとは思うが、同じような決壊が毎年発生する。

●避難所の光景も相変わらず、体育館など広いスペースを区切ってごろ寝。プライバシーも何もあったもんじゃない。余裕のある時に考えておかないと大変なことになるのは、今回のコロナで十分学んだろう。

●くしくも、そのコロナ対策が評価され小池百合子氏が二期目の東京都知事を務めることになった。災害対策は果たしてどのようにバージョンアップするのだろうか。昨年の多摩川の氾濫の例もある。球磨川だけの話ではない。

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新コロナ日記20200705

●あっという間に7月である。

●緊急事態宣言も解除され、東京アラートも発令基準と共にうやむやになり、息子の小学校や塾も再開。奥さんは三密の見本みたいな電車に乗っての通勤が始まり、仕事場に着く前にぐったりしながら毎日を過ごしている。

●私の仕事も細々と復活しているが、とても「食べていける」ようなボリュームではない。仕事の対価が時を置いてやってくるフリーランスであることが幸いして、5月末まではそこそこ入金があった。特別定額給付金もあり、直ちにどうこうという状況ではなかったが、6月の売り上げはゼロ(入金は多少ある)、7月も通常の1/4程度の売り上げになる見込み。

●今書いていて気付いたが、「特別定額給付金」というネーミングの意地悪さったらないな。

●下々に「特別に与える」、もうこれ以上はあげないよ、「定額だから」という文言を、これでもかと盛り込んでる。給付金というのも腹が立つ。もともとは我々の税金じゃないか。そんなに国民にお金を渡すのが嫌なのか。いかにも小役人が上目づかいで考えたネーミングではありませんか。

●「新型コロナに対応した生活支援金」とか、なぜできない。もう一度出すときはぜひ再考を願いたい。

●フリーランスなので「持続化給付金」の資格もある。6月分の売り上げがゼロになったので受給資格はあるのだが、6月分を根拠に申請するには、7月に申請する必要があるみたいだったので、一昨日書類をそろえて申請した。なんと「審査」があるらしい。

●不正防止のためとのこと。まあ、もやもやするよね。

●自粛中、いろいろ考えたことがある。新型コロナに絡めたこの日記も書き続けるが、新たな企画も始めようと思う。まだ自由になる時間もあるからね。

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新コロナ日記20200502

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●写真は町田駅近くにある泰巖歴史美術館。こうやって見るとイージスアショアみたいだな。「泰巖」は織田信長の戒名「惣見院殿贈大相国一品泰巌尊儀」(諸説あるようですが)から取られたもの。ある方の織田信長のコレクションを展示するもので、今年の3月22日にオープンした。

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●しかし悲しいかなオープンしたとたんにコロナ禍で文字通り開店休業状態に。

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●オープン告知ツールのコピーや雑誌広告、新聞広告、館内パンフレットのテキストなどを担当したのですが、JR町田駅周辺に告知フラッグが掲示されたのみ。雑誌、新聞への出稿はいつになるのかな。

●ウォーキングの足を延ばして様子を見に行ったけど、当然のことですがひっそりしてました。

●緊急事態宣言も延長され、再開はまた先延ばしです。悲しいことだ。

●「緊急事態宣言を延長」って、言葉としておかしいよなと思っていた。しかし「自粛を要請」とか訳の分からん事を言い続ける政府なのでしょうがないとあきらめていたら、今日、TBSラジオに出演したえのきどいちろうさんが指摘されていて(MCのナイツの二人には伝わってなかったけど)溜飲が下がった思いでありました。

●政治家にはもっと言葉を大事にしてほしいが、現政権のメンバーの知性では無理だろな。

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新コロナ日記20200501

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●仕事がすべて延期になっているのですることが無くて、今まで手付かずだった家の中の片づけを毎日やっている。

●数年前に父親が亡くなった時に住居を整理して私のところに持ってきていた荷物の中に古いアルバムがあって、中を見ていたら、まあとんでもなく古い写真が見つかる見つかる。

●上の写真は昭和19年の夏に撮られたもの。右に写っているのが私の母。昭和8年生まれだからこの時10歳か11歳になるところ。写真の裏に書いてあった文字によると集団疎開中の1シーンらしい。

●横浜の子安のあたりにあった布団屋の生まれで、この時、今の川崎市宮前区蔵敷にあったお寺に疎開していたと聞いた。左のお姉さんはもんぺ姿だが、母はのんきなワンピース。良いのか?こんな格好で。まあ100%悲惨な暮らしではなかったという事か。

●しかし、横浜方面や東京が空襲されたときは空が真っ赤になったというから、それを見た時の心持たるやいかばかりだったか。

●母は11年前に亡くなった、今の日本の状況を見てどんな心持だろうか。母の墓は疎開していた蔵敷の近くにある。コロナが収束したら報告に行くから、それまで見守ってほしい。よろしくお願いします。

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新コロナ日記20200428

●とうとう誕生日が来た。まさかこんな状況で迎えるとは思わなかったが、62歳である。若い頃、「2000年には42歳だぜ、うへえー」とかなんとか言いながらみんなで酒を飲んでいたが、それから20年だよ。

●でも、やってることは変わらない。Facebookで、中学・高校以来の友人からたくさんメッセージをもらったが、「終息したらまた飲もうよ」ばっかり。まあ、今ではそれがどんなに貴重でぜいたくなことになってしまったか。

●誕生日とはいえお祝いも自粛なので悔し紛れに餃子を作る。白菜から思ったより水が出たので餡の味付けを濃くしたらこれがドンピシャ。たれつけずに食べてもおいしかった。

●コロナの感染者もまた増加傾向。息子の学校も5月いっぱい休校に。予想はしていたが、6月ごろから何となく戻っていくのかな。もちろん元通りではないが。備えておかなければいかんねえ。

●さて、明日は何作るかな。

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新コロナ日記20200426/2

●こんな話ばかりで気が滅入るが、また訃報である。元TBSのフリーアナウンサー、小島一慶さんが23日に亡くなっていたとのこと。75歳だった。コロナではなく、肺がんを患っていたそうだ。

●早口で、軽妙で、若いころは同じ局だった久米宏さんとイメージが重なる。今はずいぶん違ってしまったが。お二人とも「ぴったしカンカンのMCを担当していた。

●個人的に記憶に残っているのが、中学に入学したころ、TBSラジオで児島さんがDJを担当していた「ヤングポップス1010」という番組。聞き始めた時のテーマソングがピンクフロイドの「夢に消えるジュリア」。後年特長となる早口のしゃべりではなかった。洋楽のヒットを2曲ぐらいかける番組だったが、ちょっと流行を先取りするような選曲だったように思う。おかげでいろんなアーティストを知ることができた。

●少し早い時間に文化放送では「みのもんたのカム・トゥギャザー」というのをやっていて、こっちはその時のバリバリのヒット曲をかけまくっていた記憶がある。T・REXとかよくかかっていたなあ。みのもんたのしゃべりは後年、プロ野球ニュースの「珍プレー好プレー」のナレーションに通じるものがあった。

●中1のころは大体この2つの番組を聞き終わると寝ていたが、すぐにどんどん寝る時間が遅くなり、セイヤング、パックインミュージックのリスナーとなり、落合恵子さんに読まれたくてハガキを量産する中学生になっていくのである。

●ハガキを読まれることはなかったが、クラスメイトのO君が読まれたことがあって、その時はちょっと興奮した。

 

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新コロナ日記20200426

●昨日のうちにアップしようと思っていたが寝てしまった。もっと積極的に休養を取った方が良いのかな。運動ももっとしなくては。

●疲れはあるが、そのほかは今のところ異常はない。発熱もなし。家族も元気でありがたい。

●政府、行政関係では相変わらず真面目にやっているのかと思うような新型コロナ対策が続いているが、やはりよく覚えておくべきは大阪府が休業要請に応じないパチンコ屋の名前を発表した、という件である。

●📺のニュース見てたらパチンコ屋の従業員は「昨日の倍ぐらい来客がある」と言っていたし、来店していた客は「どこがやっているか探さなくて済むので助かった」と話していた。まあ、こういう声をそのまま放送に乗せるのもどうかと思うけどさ。

●集客をサポートしてどうする(笑)。こうなることは容易に想像できたし、SNSでも多くの人が指摘をしていたが、大阪府知事は、店名を公表したらパチンコ屋が営業を止めると本気で考えていたのだろうか?誰か知事を止めなかったのだろうかとも思うが、止めたら余計やりそうだしな。

●パチンコ屋を感染源としたクラスターが報告されないのも不思議だが、もし発生したらそのお店は直ちに営業停止だろう。感染者は多数発生するだろうし、それらの人から、パチンコはもちろんいろんなことを自粛している人にも感染は広がる。

●今回の措置で大阪府は何がしたかったのだろうか。まだ見ぬ(ままに終わりそうな)アベノマスク2枚もそうだが、本当に訳が分からない。真剣に取り組んでいない政治家がいないのは恐怖だが、真剣に取り組んでこの体たらくだとしたらもっと怖い。

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