Meet The Beatles 8

音楽話の続きです。

前回紹介した「アビーロード」の件で思い出したことがありました。このLPは、小田急線町田駅近くにあったスガナミ楽器店で買い求めました。中学1年で仲良くなったF君と、小学校時代からの友達A君と3人で一緒に買いに行ったと思います。

百合丘には当時レコードを売っている店は1つしかなく(京浜楽器だったかな)、品ぞろえが少ないので、鈴木楽器店、スガナミ楽器店という本格レコード店2店を擁する大都会町田によく行っていた。当時は小田急線の駅が新原町田。地下通路で結ばれた2面4線の駅で改札口は地下にあった。駅ビルはまだなく、現在駅前広場になっているあたりに小田急ストアが建っていた。

「アビーロード」を買いに行ったときは東芝レコードがビートルズキャンペーンをやっていてLPを買うとポスターがもらえるという事だったので、それも目当てだった。

Photo_20200920204101こんなやつだったと思う。

一緒に行ったA君は「ステレオ、これがビートルズvol.1(オリジナルは「Please Please Me」)、F君は「ヘイ・ジュード」を買ったと思う。私は前述の「アビー・ロード」を購入したのだが、「MEET THE BEATLES」の経験から、お店にあったこともあり輸入盤を購入した。当時、国内版のビートルズのLPはほとんどが2,000円(一部のモノラル盤は1,700円)。輸入盤は1,800円か1,900円で、値段も魅力だったのだ。

購入後、A君とF君はプレゼントのポスターをもらえたが、私はもらえなかった。そう、ポスターがもらえるのは国内版を買った人だけだったのでした。「じゃあ国内盤に交換してください」と言えないのが私のなさけない所。さも「そんなこと始めからわかってたもんね」という顔をして落胆していたら、F君が「ボク、前にポスターもらったから」というので、少しお金を払って譲ってもらった記憶がある。何やってんだか、という感じですね。

そのうち行動範囲が広がってきて、町田だけではなく、新宿や渋谷、銀座辺りまでレコードを求めてうろつくようになった。

で、次に購入したのが、「ラバー・ソウル」。買ったお店は新宿西口の今は無き新宿レコードでありました。

A

(続く)

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“フリーランス”コピーライターへの道37

■コピーライターという仕事のことについても書いていたのだった。前回の記事はなんと2016年8月。その時点ではすでにフリーランスになっていたのだが、記事内容はサラリーマンコピーライターとして所属していた会社から「来年の雇用は無い」と通告されて転職活動を始めたころのことでした。

■転職活動を始めたのは55歳。求人そのものはかなりあったので、求人サイトを通じて手当たり次第に応募していたが、この年齢でははっきり言って反応は悪い。面接までこぎつけたのは前回の記事で書いた会社を含めて3件。会ってくれる会社があったのは正直驚いたが、結局その中の一社にお世話になることに決め、2015年の4月から働き始めた。

■あまり快い話ではないので結論から言うと、結局4か月後の7月末でその会社を退職することになった。「クリエイティブ」な仕事が求められていない会社だったので、力を使うことができなかったという事でしょうかね、簡単にいうと。

■一応、その前に所属していた会社の役員に「赫赫云々で」と報告をすると、何という事でしょう、「力を貸してくれないか」と言われた。

■年間を通じてかなりのボリュームのツール(DMやチラシなど)の制作を行う仕事を受注したらしく、情報整理をしながらコピーが書けるライターが必要になっていたらしい。

■フリーランスでやっていくしかないんだろうなあ、と考えていたところに降ってわいたお話。一応信頼はされていたんだなあと思い、やらせていただくことにした。3月末で辞めた会社に、今度は嘱託契約として席を置かせてもらうことになった。

続く

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自分インタビュー[0018]百合丘小学校4年生の頃20200917

●今日も少し涼しいですね。午後から息子の学校の保護者懇談会。通例ならクラスごとなのですが、新型コロナ対策のためか学年ごと。併設の大学の大きな教室での開催です。

●それまでは明日の取材準備をしています。では。

 

Q 4年生はどうでしたか?

A 転校して1年。良く遊ぶ友だちも固まってきましたね。

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Q ずいぶん老けた友達ですね。

A そんなわけないだろ。3年生の時の担任白井先生だ。4年生になって、仲良し3人で先生の自宅に遊びに行った。場所はどこだったかなあ、そんなに遠くではなかったんだけれど、記憶にない。

Q だれかご存知の方がいたら…

A ぜひ教えてください。バイオリン弾けたんだよね。学校では一度もそんな話してなかったけれど。

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Q お友達ですね。こりゃまたレトロなテレビがありますね。

A うちのTVに比べたらずいぶん立派だった。友達はN君とS君。3年、4年と同じクラスだったんだと思う。白井先生は面白い人で、先生のことを書いた作文(文集)が今でも家に残ってる。「白井先生は面白くて歯が出ています。朝礼の時に“ドン・ガバチョ”の話をしてみんなを笑わせました。僕は白井先生が担任でよかったと思っています」とか書いている。

Q “ドン・ガバチョ”って何ですか?

A ひょっこりひょうたん島見てなかったのか?

Q そこからわかりません。

A 詳しくはこちら。

Q インターネットは便利ですねえ。4年生では何組でしたか?

A 4組。担任は男沢先生。いずれ写真も出て来るでしょう。

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Q おお、航空写真。最近見ませんね。

A 良く見ると校舎を増築しているね。生徒が増え続けていたころだからねえ。生徒が増えすぎて次の年に分裂して南百合小学校が誕生するんだね。

Q プレハブの校舎も見えますね。

A 私も5年、6年はプレハブ校舎だった。夏は暑くてねえ。中学になってもプレハブ暮らしだった。

Q 世を忍ぶ仮の校舎みたいですね。

A 上手いこと言ってんじゃない。

続きます。

 

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Meet The Beatles 7

好きな音楽のことも書いていたんだ。もちろんビートルズ。「アビー・ロード」のA面について書いて停まってた。

9年ぶりの再開です。

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アビー・ロードB面一曲目は「ヒア・カムズ・ザ・サン」。A面の「サムシング」に続きジョージの才能がさく裂です。「バングラデシュのコンサート」でも演奏されて、アコギでサポートしていたピート・ハムの演奏を見て、「ああやるのか」と一生懸命練習したので、この曲だけはそこそこ弾ける(弾けた、ですね)。

そして2曲目、「ビコーズ」から最後の「ジ・エンド」までの息をつかせぬ見事な流れのメドレー。実質的には彼らのラストアルバムという事を知るのはずっと後のことだが、ものすごく気合いを入れて作ったんだろうなと思った。「こんなの作っちゃったら、最後の(当時はそう思っていた)レット・イット・ビーはああなるよな」とかわかったようなことを言っていた。

「レット・イット・ビー」も良いアルバムですよ。名曲多いし。でも、「名曲の寄せ集め(ひどい言い方だな)」みたいなだよね、やっぱり。「アビー・ロード」は、集中力が違う。

今考えると、ビートルズは発売順、時系列で聞いておけばよかったと思う。いきなり「アビー・ロード」を聞くと聞き方が歪む。できればリアルタイムで聞きたかった。

さらにビートルズの魅力に憑りつかれた私は、次にどのアルバムを買うのでしょうか。

続く

 

 

 

 

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自分インタビュー[0018]趣味はプラモデル作り20200915

●精米した米がなくなってきたので近くのコイン精米所へ。玄米も残り一袋となった。そろそろ発注を考えなければならない。奥さんがリモートで家にいることが増えたので減りが速いですね。

●息子が学校休みで家にいるときはもっと速かった。いつもと全く違う年になってしまいましたね。続きです。

 

Q プラモデルを作り始めたのは?

A 最初は、お風呂とかで遊ぶ戦艦や潜水艦だったと思う。以前そんな写真をアップしたと思うけど。そんなおもちゃしかなかったんですよ。

Q 他には何か作りましたか?

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A こんな画像が残ってた。

Q 写真、下手ですね。

A 本当にねえ。もう少し何とかならなかったのか。でも、何を作っていたのははかろうじてわかる。

Q 全然わかりませんが。

A 前からの画像は良く分からないので、上からの画像で説明すると、左上から右へ、96陸攻、P2Vネプチューン、カーチスヘルダイバー、P51ムスタング、一番右の4発ジェットが良く分からないんだけど、多分C-135。何でこんな輸送機のモデル作ってたんだろ。その左が日本陸軍の5式戦。下の列の飛行機はスーパーマリンスピットファイア。両端の船社と装甲車は不明。小さなレースカーと思しきモデルは残念ながら良く分からない。

Q 覚えてるんですか?

A 覚えちゃいないが、このくらいは写真から判別できる。作り始めたばかりの頃のやつだね。塗装もしてないし組み立てもひどい。

Q 伯父さんの影響は?

A 伯父さんは戦争中飛行機乗りになりたかったけれど、視力が足りずになれなかったとよく言っていた。戦後は、M重工からM自動車で仕事をしていた人ですが、弟(母の兄)と一緒に模型飛行機を趣味にしていました。実際に飛ばすやつですね、ゴム動力やエンジンつけて。それがある日、私の家に来た時だったが、私がプラモデルを作っているのを見て、「それ何?」という話になり、そこからのめり込んで行きました。

Q プラモデル知らなかったんですか?

A 当時、実際に飛ばさない、リアルな形状の飛行機模型といえば、木材を削り出して作るソリッドモデルが主流で、伯父さんは知らなかったらしいね。でも、私の作っていたもの(何かは忘れた)を見て、興味を持ったようで、それ以降はプラモ一筋。弟(もう一人の伯父)は飛ばす方が面白かったらしく、そちらにまい進し、模型飛行機愛好者の団体の、結構偉い人になったみたい。

Q 突き詰める人たちですね。

A そういう遺伝子が私にも残っていると良かったんだけど。

Q そうですね。

A 言い切るね。その後は伯父さんから組み立ての技術や塗装などの知識を教えてもらったり、読み終わった航空やプラモ関係の雑誌をもらったりして楽しんでいた。

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こんなやつね。画像は最新のものだけど。たまに洋雑誌も交じってた。

Q 小学生でこれを読んでいたんですか?

A 好きなことだと苦にならんのよね。漢字を覚えたり、長い文章を読むことが苦にならなくなったのはこの時期にこういう雑誌をむさぼり読んだからだと思う。

Q 親御さんは?

A 母親は何も言わなかった。自分の兄が息子を可愛がってくれてたので嬉しかったんじゃないかな。父親は文句ばかり言ってましたね、やれ「戦争の道具を作るなんてろくでなしだ」「模型なんて自分の手で一から作るもんだ」「塗料のにおいが耐えられない」「シンナー中毒者になるぞ」。書いてて思うが、理不尽この上ないな。

Q 「じゃあ代わりにこれをやれ、とかは?

A 無かったねえ。反対するだけ。何か思うところがあったんだと思うけど、未だにそのあたりがわからない。

Q 奥が深いですね。

A プラモも奥が深いよ、またはじめようかな、ガンプラでも。

続きます。

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久々に息子のことを

▶このブログには細々と息子のことを書いていたんだっけ。前回のエントリーはこんなもの。2014年の記事でした。

▶さて、世間はいろいろと騒がしい訳ですが、個人的に一番関心があるのは家族、なかでも息子の成長とその行く末であります。2008年生まれなので今年の7月で6歳。今年の後半には小学校をどうするのか、という問題を抱え、高齢の親二人はアタフタすること必定の年であります。

▶友達もたくさん行くらしいので、同じ大学の附属小学校に行きたいと息子自身は言っている。ただ、中等部・高等部は女子のみなので、その先のことも考えておかねばなりません。

▶公立の小中学校に進み高校受験に臨むか、中学から中高一貫の学校を受験するか。はたまた小中高あるいは大まで上がれる学校をお受験するか。そもそも受験したって受かるのか…。一度考え出すと思いは千々に乱れてしまいます。

▶息子が小学校6年になるのは2020年。わが家はオリンピックどころではないのであります。

▶結局幼稚園と同じ大学の附属小学校に進学して、結構充実した小学校生活を送りました。父親としても、保護者同士の良いつながりができて、楽しくさせてもらいました。このあたりのことも書いておかないといけませんね。

▶6年後の今、進学先の問題が大きく立ちはだかっていて、親子ともども思案中であります。いろいろあるので、あとから記憶をたどれるよう、こちらのこともちゃんと記録しておこうと思います。

▶しかし、2020年はオリンピックどころではないと書いていましたが、まさか延期になるとは思わなかったなあ。

▶さて、こちらのブログもしっかり書いていこうと思います。

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自分インタビュー[0017]百合丘小学校3年生の頃20200914

●ずいぶん涼しくなりましたね。今週はマンション設備の修理工事があったり、取材があったり、ちょいと忙しくなる予定です(歯医者もあるし)。

●さて、今回から、百合丘小学校の話が始まると思います。

 

Q 2年の3学期を記憶のないまま過ごし、いよいよ3年生ですね。

A 当時は意識はあったよ。今思い出せないだけ。3年生のクラスは2組。担任は白井先生でした。

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Q クラス写真ですか?どこで撮ったものですか。

A 覚えていない。

Q またですか?

A 誰か教えてください。学校近くの神社であることはまちがいないんだけど。

Q 誰か見ていると良いですね。

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A クラスには溶け込んでたように思う。下の写真は学芸会の出し物か、その練習中のようだが、真ん中で何かやってる。

Q 相変わらず机は木ですね。二人がけだし。

A 真ん中にコンパスの針で線引いてね、「こっから入るなよ…」って、止めろよ。

Q どこまでいくかなと思って。暮らしぶりはどうでした。

A 妹を保育園に預けて、母親が本格的に働き出しました。

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Q 花屋さんですか?

A 小学校の上の道沿いにあった何軒かの商店のうちの一つでしたね。最初のうちは学校終わると母親のところに行って家の鍵を受け取って帰宅していたけど、そのうちすぐに自分用の鍵を持たされた。鍵っ子ですね。

Q 明るそうな方ですね。

A 父親が暗かった分、余計に明るく見えたような気もするが、基本的に陽気で楽天的な人だったと思う。私もその辺受け継ぎたかった。

Q 暗いんですか?

A 今となれば多少は改善されたように思うけど、子どもの頃はね。

Q 家帰って何してたんですか。

A 友達と遊ぶこともあったけど、大体プラモデル作ってた。

Q あ、伯父さんの影響で。

A 作り始めたのは私の方が早かったんだけどね。そのあたりのことは次回に。

 

続きます。

 

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自分インタビュー[0016]百合丘小学校へ転校20200912

●奥さんの荷物持ちでスーパーに行ったら牛スジ肉が安かったので購入。ちょっと気が早いかと思ったが「おでんにしようか」と言うことになりました。スジ肉おでんはいつもなら私の担当なのだが、気がついたら奥さんが作ってた。さては腹減ってたな、昼飯食わなかったし。

●秋を感じる日になってきましたが、続きます。

 

Q 小学校生活はいかがでしたか?

A 楽しかったですね。実は百合丘からもう一人、志を同じくする(笑)子がいて二人で通ってたので通学もなんだかんだ言って楽しかった。

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教室の様子も、ずいぶん現代に近づいてきた気がしますね。

Q そうですか?机、木じゃないですか。二人掛けだし。

A 真ん中にコンパスの針で線引いたりしてな。ここから出るんじゃねーよ、とか言って。

Q そんなことしてる子なんかいませんよ。

A 知ってるよ。机一人用だもんな。

Q 友達はできましたか?

A できるにはできたけど、付き合い方がなあ…

Q 何かありましたか?

A 放課後、みんなで遊びに行くじゃん。誰かの家に行ったり、その近くで遊ぶことが多かったんだけど、みんな地元じゃん?

Q 横浜生まれですか?

A 「じゃん」って、中居君のせいだと思うけど、「横浜弁」みたいに言われてるけど、川崎の小学生にも流通してたぜ。

Q そうなんですか。じゃあ、神奈川。

A 方言じゃねえって。なんだっけ?

Q 遊びに行ってどうしたとか。

A そうそう。みんなで遊びに行くんだけど、こっちは百合丘まで帰らなけりゃいかんので、早々に離脱する必要があるのよ。そうすると、地元のみんなとどうしても、溝と言うか壁と言うか、できるのよ。

Q いじめとか?

A それは無かったけど、気を使ってくれてるというか、誘ってもらえないことがたびたび出て来る。誰かの家でみんなでご飯食べるとか、土曜日の午後に何人か集まって親と一緒に遊園地に行くとかいう企画の時にさ。

Q 良くあったんですか、そういうこと?

A 基本は学校の周りの畑や空き地、公園を走り回っていたんだけどさ、たまにそういうことがあるとね。東宝の砧撮影所が学校の近くで、良く見に行って、ウルトラシリーズに出て来る怪獣のぬいぐるみやセットの残骸みたいなのを見ていた気がする。

Q ウルトラマンですか?

A 私が山野小に通っていたのはウルトラQからウルトラマンの初期の頃だったと思う。

Q ウルトラQって何ですか?

A ウルトラマンの前番組。ウルトラヒーローが出てこない怪奇ドラマシリーズ。ガラモン、カネゴン、ぺギラのデビューはこの番組。後のウルトラシリーズにもたびたび登場しましたね。あと、同じく東宝制作のTVドラマ「快獣ブースカ」。これはどこかの家を使ってロケしていたのを見た覚えがあります。

Q 楽しそうですね。

A 楽しかったよ。でも、クラスメートとの100%の一体感という点ではちょっとね。小学校低学年なんて、友達との遊び方とか付き合い方という社会性を学ぶ時期だと思うので、一人だけ生活環境が違って、周りの子と同じ付き合い方がでいないというのはどうなんだろうと、今になると思ったりする。

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神代植物公園への遠足の写真だけど、上の写真で手をつないでいる子と仲が良かったと記憶しているんだけど、名前はすっかり忘れている。

Q ひどいですね。地元の子たちとは遊ばなかったんですか?

A 地元は地元で百合丘小学校コミュニティーができてるからね。こちらでも何となくよそ者気分。所属集団に完全に一体感を持てない性格は、この頃醸成されたように思います。

Q その後百合丘小学校に転校するんですよね?

A 「越境通学」が問題視されるようになったんだと思うけど、詳しいことは良くわからん。母親に聞いておけばよかったんだけどね。2年生の3学期に百合小に転向しました。何組だったかな。これは本当に記憶にないので、誰か知ってる人がいたら教えてください。

Q いますかねえ。

A いるといいなあ。

続きます。

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自分インタビュー[0015]越境入学20200910

●昨日、3月末から続いていた歯科治療が一旦終了しました。終わってみると、毎週一回の歯科通いは生活のリズムを作るのに役に立っていましたね。

●さあ通常営業だ、と思うが、仕事が思うように戻ってきません。しばらくは我慢の日々が続きそうです。話を続けましょう。

 

Q 今回こそ小学校の話ですね。

A ちょっと込み入ったいきさつがあるんだけどね。

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Q 「山野小学校」とありますね。

A 世田谷区立山野小学校。小田急線の祖師ヶ谷大蔵と千歳船橋の間にあって、電車から見える。

Q 引っ越したんですか?

A いや。バスと電車で通ってた。

Q 公立ですよね。小学校って選べたんですか?

A 普通なら百合丘小学校に入学してたはずなんだけどね。おふくろが「新設の小学校は教育の程度がちょっと…」と言い出して、何やら画策して入学したらしい。経緯はよく知らんけど。当時付き合っていた、同じような年齢の子供を持つ知り合いの母親から、何やら情報を得たみたいなんだけど。

Q 入学する手があったんですね。

A いわゆる「越境入学」というやつ。最近あんまり聞かんけど。小学1年生から良く電車通学してたよね。

Q どれくらいかかるんですか?

A 駅までバスで10分、百合丘から電車に乗って向ヶ丘遊園で快速準急(昔あった電車種別)か急行に乗り換えて成城学園で各停に乗り換えて祖師ヶ谷大蔵。そこから歩いて10分くらい。1時間ちょっとかかっていたと思う。

Q 親御さんは心配じゃなかったんでしょうか。

A 本当にねえ。まあ今のような混雑ではなかったような気がするけど、子どもには大変だった。でも、成城学園で降りられなくて困ってると、周りから「子どもがいるよー」「降ろしてあげて」という声がたくさん上がって、ほのぼのしていたというか、車内の一体感はあったかな。

Q これも隔世の感ですね。

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A 教室の様子もこうだから。戦前とは言わないけど、終戦後の写真と言われても信じるよ。今回も写真をチェックしていたら、ちょっとびっくりすることがあった。

Q 何ですか?

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A 校庭で行われた入学式を待っている写真だと思う。一番手前真中が私ですが、右奥に立っているカーディガンを着て前髪を右に流したお姉さん。新入生の面倒を見る6年生と言うところだと思うんだけど、小学生とは思えない整った顔立ちで驚いた。一瞬保護者かな?と思ったが、胸に校章のバッジをつけているのでやっぱり上級生のお姉さんだと思う。

Q ほかの上級生の女子もみんな大人っぽい気がします。

A そうだね。しかし今になって気づいてもなあ… そのどんな人生を送ったのだろうか。

Q 当時6年生なら、今、66歳か67歳ですね。

A 会ってみたいなあ。

Q 無理ですって(笑)

 

続きます。

 

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自分インタビュー[0014]私の東京オリンピック 20200908

 

●来年の東京オリンピックについていろいろな報道がなされていますが、実際どうなるんでしょうね。

●安心して開催できるような状況になれば良いのですが、どこかに、誰かにしわ寄せが来るようなことが無ければ、とも思います。続けます。

 

Q では、小学校の件を。

A いや、オリンピックについて思い出したことが。

Q 前回の件ですね。前回にならないかもしれないけど。

A いらんこと言うんじゃない。

Q へい。

A 1964年だから、私が6歳、幼稚園年長組の年の10月10日、日本国民悲願のオリンピックの開会式を迎えます。

Q どんな感じでしたか?

A これが全く記憶にないんですよ。

Q ブルーインパルスの五輪の輪も?

A 全然。都心に住んでいればいろんな工事だったり、高速道路ができたり何か見てたのではないかと思いますが。テレビはあったので開会式は見ていたかもしれないですね。

Q あまり関心が無かった?

A 両親も「絶対見に行きたい!」というタイプではなかったんでしょうね。

Q じゃあこの件、話はないじゃないですか。

A いや、覚えていることはある。毎日の競技を母親と一緒にテレビで見ていた。そして、何かの商品のオマケだったか何だか、国別メダル獲得表みたいなものに小さな国旗のシールを貼り付けるというのが会期中の習慣でした。

Q 周りの人たちの様子は?

A 全然覚えていない。そんなに盛り上がっていなかったのか、私が感じられなかったのか。でも、母親と一緒にシールを張るのが楽しくてさあ。前年に妹が生まれて、そちらに手がかかるから母親とそういう時間を過ごすことが減ってたから、嬉しかったのかもしれない。

Q メダル獲得表は残ってないですか?

A さすがに無いなあ。当時、カルピスがスポンサーとしていろんなことをやっていて、多分そのキャンペーンの一環でそういうものをプレゼントしていたんじゃないかと思う。

Q 良い思い出ですね。

A そうだね。楽しかったし、国の名前と国旗は、この経験で結構覚えたんじゃないかなあ。チェコスロバキアとかエチオピア、トリニダード・トバゴなんていう国はこの時に知って、覚えたと思います。

Q 画像があればよかったですね。

A あ、思い出した。どういう経緯か忘れたけど、大会終了後にカルピスから景品をもらった。

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Q 何ですか?

A 東京五輪のハイライトを記録したソノシート5枚組セット。開会式や競技のハイライト場面の音声が収録されている。小学生の頃はよく聞いたっけなあ。結構後まで実家にあったんだけど、母親が脳梗塞で倒れたドタバタでどこかに行ってしまった。一部You Tubeで聞けたりするんですけど。

Q 良い時代になりましたね。

A 一度母とオリンピックの思い出について話してみたかったけどかなわなかった。それだけが心残りです。

しみじみしましたが、次回こそ小学校の話を。

 

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