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<コピーライターへの道20>

■当時の私は「もっと稼ぎたい」と顔に書いてあったんじゃないかと思いますが、とにかく母の病気治療がこれからどうなっていくのか、心配で仕方ありませんでした。
■そんな私に声をかけてくれたのが、当時在籍していた会社で何度も一緒に仕事をしていたAD。その前に働いていたプロダクションの社長に呼び戻されるような形で移籍することを決めていました。ある業態の会社1社の広告を専門に制作するプロダクションで、「仕事は安定して受注できているけど、ちょっとコピーのキャパが足りないんだよね」という状況のようでした。
■後に私が移籍していったときの体制はADのほかデザイナーが3名。コピーライターが私を含め2人。あとは社長と経理担当の女性が一人。後にデザイナーが4人(一時5人のこともあった)、コピーライター3人(ひとりはアシスタントレベルでしたが)にまで増えたので、まあ、順調に業績を伸ばしていた会社と言えるでしょう。
■何度か面接を行い、仕事の内容を確認し、こちらのことも知っていただいて、お給料もありがたい金額を提示していただいたので(バブルえらい!)、1993年の3月からこちらのプロダクションで働かせていただくことにしました。「金銭的に母の病気に備える」という転職の目的は一応叶えられたことになります。
■辞めることになった会社には11年と11ヶ月お世話になったことになります。私が抜けたことで、11人いた同期は4人を残すのみになっていました。仕事もあちこちでギクシャクしていたので、あまり引き止められた覚えもありません。その後の状況から考えると、会社としても「渡りに船」だったのかもしれません。
■ただ、総務の責任者から、「あと一ヶ月いれば退職金が違うのに」と言われたのを今でも覚えています。腹が立ったんでしょうね。「金じゃねえよ!」なんてね。若いっていうのはしょうもないですね。今なら迷わず12年勤めて辞めますね。人生まず金です。夢や希望はその上に乗っかってるんだということがようやく分かったわけです、いい歳して。
■3月の半ばでしたか、新たな職場に通い始めました。最初の仕事は自分のPCを決めて発注すること。もちろんMacです。機種はLC575。当時最新最強のエントリーモデルでハードディスクは160M(Gじゃないよ)でした。

(もちろん続く)

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