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自分インタビュー[0006]20200720

●ようやく青空が見えたので、昨日は懸案だった庭の草刈りをしました。また生えて来ると思いますが。

●さて、自分インタビュー再開します。

 

Q なぜ川崎のディープ・サウス(笑)から百合丘団地へ?

A 父は引っ越した後も日本鋼管に通ってましたからねえ。マディ・ウォータースが南部の綿花農場を辞めてシカゴに移ったのとは訳が違う(笑)

Q 川崎駅の方まで通っていたんですか?

A 通勤時間は相当長くなったと思いますね。それまではバスに乗ってすぐ工場、みたいな所に住んでいたわけですから。

Q なんで百合丘に?

A 両親から聞いた覚えはないです。百合丘団地は昭和35年に開発が始まり、翌年から入居が始まりました。当時入居するには抽選があったと思うので、申し込んだら当たったんじゃないでしょうか。団地と言えば最新の設備を備えた庶民の憧れの住まいでしたからね。

Q 映画にもなりましたよね。

A 東宝映画「喜劇 駅前団地」ですね。森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺など、おなじみのメンバーが出ていましたね。映画では百合丘駅ができるまでのドタバタが描かれていましたが、昭和35年には駅も完成。新たな街づくりが本格化していたはずです。団地は完成していましたが周囲は全くの山。写真はおそらく現在南百合丘小学校のある辺りから、団地や弘法の松方面を望んだものだと思います。20200720092530

団地では犬は飼えないので、引っ越すときに保健所に託したと聞きました。殺処分ということはなかった時代だと思いますが、かわいそうなことをしました。家族も同じ気持ちだったようで、その後犬を飼うことはありませんでした。

Q 当時の百合丘の様子は?

A 真新しい街、という印象でした。駅も出来たばかり。もとは砂利置き場だったそうです。読売ランド前は「西生田」という名前で(ちなみに現在の生田は東生田でした)、西生田から柿生の間には駅が無かったんですね。スゴイな。団地の建物は新しかったけれど、建物の間の芝生や植栽などは、まだ工事が完成していないところもありました。

Q 住まいはどのあたりに?

A 最初に入居したのは百合丘3丁目にあった百合丘第二団地112棟の102号室でした。間取りは1LDK。6畳の和室、同じくらいのLD、風呂とトイレは同じスペースにありました。駅から歩いて15分ぐらいかかったかな。その後、第2団地内で一回転居しました。
百合丘団地はその後建替えられ、今では当時の面影はすっかりありません。しかし、高低差のある丘陵地に建てられていて、その高低差は相変わらず残っているので、どこがどこだかまったくわからない、という状況になっていないのはありがたいですね。

●暮らしぶりや近隣との交流などはまた次回。幼稚園のことも書きます。

 

 

 

 

 

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