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自分インタビュー[0003]20200711

●おはようございます。今日もよろしくお願いします。

 

Q 当時はどんな暮らしぶりでしたか?

A 前にもお話しましたが、父は日本鋼管に勤務していました。高校(時代的には旧制中学かな)卒業後、群馬から東京に出てきて専門学校で英語を勉強していたところ、彼の父親(私の祖父ですね)が事故で亡くなり、学業を諦め仕事に就いたと聞きました。

 英語についてはかなり堪能で、後年、街中で外国人観光客(だと思う)の案内などを良くしていて、ちゃんとコミュニケーションが取れていたという記憶があります。今でいう「通訳ガイド(通訳案内士)のようなアルバイトもしていたらしい。資格が取りたかったのに、やむなく就職したとたびたび話していました。

 今思うと、やりたかったことを何かの障害のために諦める、という事が、その後の父の人生ではたびたび繰り返されます。不思議です。なぜなんだろう。

 学生時代はどこに住んでいたのか、なぜ日本鋼管に就職したのかなど、聞きたいことは沢山ありましたが、聞けぬまま父は亡くなりました。当時を知る関係者もほぼ存命ではないので、分からんままでしょうねえ。

 日本鋼管ではもちろんホワイトカラーではなく、製鉄所の溶鉱炉の運転管理に関わる仕事をしていたはずです。休日に家で溶鉱炉のシステムを記した図面を見ながら、何かを追記したり、書類を作っているのを見たことがあります。今にして思うとマニュアル的なものでしょうね。

Q 溶鉱炉は24時間稼働と聞きますが

A そうですね。溶鉱炉関連の仕事は、朝番、遅番、夜勤の三交代勤務で、父もこの3つの勤務を何日か置きに繰り返していました。ですから、休日も不定期でした。もちろん週休二日なんてものもなく。日曜日も仕事に行くし、平日の昼間に寝ているし。こっちも子供だったので、あまり不思議に思うことはありませんでしたが。

Q 何かエピソードはありますか?

A 夜勤から帰宅して家で寝ているとき、幼かった私が泣くと父はとても不快がり、果ては怒り始めたそうです。自分の子なのに理不尽だな(笑)困った母は私をおぶって家を出て、外であやすこともしばしばだったと聞きました。近くに祖父一家が住んでいたのはありがたかっただろうなと思います。

 

●仕事があるので、続きはまた。

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