七回忌<母のこと21>

●早いもので、母の七回忌がやってきました。命日は今月の27日ですが、諸般の事情から今度の日曜日に執り行うことにしました。戒名をいただき、父の葬儀の際にもお世話になった川崎の東樹院多門寺でお経を上げていただき、その後墓に参ろうと考えています。
●以前このブログに「母のこと」のカテゴリーで記事を書いたのは三回忌のとき。2009年のこと。まだ奥さんは病気が癒えず実家に。息子もそちらにいて私は単身赴任状態。実家まで二人を迎えに行き、法要が終わるとまた二人を実家に送り届けるというハードな三回忌でした。
●それから4年。早かったなあ、と思いましたが、早いはずだよ。2010年には何とか奥さんも日常生活が普通に送れるようになり自宅に帰還。息子と3人の暮らしが始まり、保育園だ幼稚園だと騒いでいたと思ったら次の年の3月には東日本大震災。
●息子も幼稚園に通い始め、奥さんもそろそろ本格的に社会復帰、と考え始めた昨年末、父が体調を崩し、年明けにははかなくも死去。後始末も何とか終わったところですからねえ。
●そんなどたばたを、母はどこかで見ていてくれたでしょうか。まだ先になるとは思いますが、ぜひ聞いてみたいものです。

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三回忌 <母のこと20>

先月の27日、まさに母の命日に、3回忌の法要を済ますことができました。
一昨年、母が亡くなって以来、本当にいろいろなことがありました。まだ進行中の懸案もありますが、これで一区切りつけられたような気がします。

父親が「三回忌とかそういうものはやらない」と言い出したときは、どうしたものかと思いましたが、結局私の家族と妹だけという形にはなりましたが、きちんとできてよかったと思います。母も安心してくれたのではないかと思いますが、どうでしょうか?

奥さんと息子も何とか参列できたのですが、お経が始まろうとした時、息子が泣き出してしまい、奥さんに連れられ堂外へ。残念。七回忌にはちゃんと一緒にお経を聞こうね。

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母の日 <母のこと>

今日は母の日でした。
できればお墓参りに行くか、父のところに行ってお線香を上げてこようかと思っていたのですが、体調が悪く、家でおとなしくしていました。
連休に奥さんの実家に行き、子どもと奥さんと過ごしてきたのですが、子どもが保育園でもらってきた風邪をうつされたようです。熱は出ませんでしたが、お腹の調子が悪くてどうも。

おふくろへ。
あまり会いに行けずに申し訳ない。
早く、子どもと3人で行きたいと思っているのですが、もう少し時間がかかりそうです。

奥さんの状態は、少しづつですが良くなっているように思います。
少なくとも検査によるデータは快方に向かっていることを物語っていると主治医に言われました。
しかし、昨年の出産と病気の影響は体にかなりの負担を与えているようです。
子どもがそばにいると、自分だけのんびり体を休めるというわけには、気分的にも、現実的にも行かないようで、
一進一退のような状況です。できれば毎日でも一緒にいてやりたいけれど、そうも行きません。
歯がゆいです。

息子は元気です。安心してください。
実家のお義父さんお義母さんも農繁期になり忙しく、
少しでも負担を減らしてもらおうと、保育園に入れることにしました。
待機になることもなく、すぐに入園できました。
このところ風邪で何日かお休みしましたが、毎日楽しく通っているそうです。

親父も今のところ元気です。
電話をすると疲れた疲れたと言ってますが、一人で生家に墓参りに行ったり、
なんだか行動的です。お袋のところにも行ったよね。

一番元気が無いのは、私かもしれません。

保育園に通わせたり公共の医療サービスを受けるために、
奥さんと息子の住民票を実家のほうに移しました。

で、現在私は単身赴任状態です。
この年になって、毎日誰もいない家に帰ってくるのは寂しいです。
本当ならそこにいるはずの家族が急にいなくなるというのは結構堪えますね。

15年前、おふくろが倒れて急に入院したとき、親父もこんな気持ちになったんだろうか。
最近、そんなことを良く考えます。

出産準備のため奥さんが実家に帰ってから、もうすぐ1年になろうとしています。
彼女の状態については、1年単位で考えたほうが良いのかもしれません。
先日、病院に同行して主治医の先生の話を聞きながらそう思いました。

気長にがんばるしかないですね。
おふくろも、どこかから見ていてください。
よろしくお願いします。

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お別れ 〈母のこと 18〉

母の骨と一緒に、もう一度斎場に戻り、最後のお経を上げてもらいました。
その後、参列者のみなさんに食事を差し上げ、父がお礼の挨拶を申し述べ、
長いような短いような4日間が終わりました。

その日、妹は翌日の仕事に備えて帰宅。私たち夫婦はもう一泊してから帰ることにしました。
位牌と遺骨、そして父を乗せて父の家まで戻りました。

四十九日のことや戒名をどうするか、お墓をどうするか、まだまだ考えなくてはならないことがたくさんありますが、これで一区切りです。

布団に入って、ちゃんとお別れを言えたのか考えていました。当事者としてはなんだかんだとやることが多く、そればかりに気をとられていたような気がします。母のことはいっぱい考えていましたが、それがお別れということになるのかどうか。やはり時間をかけてお別れを告げることになるんだろうな。そんな気がしていました。

翌朝、父と一緒に食事をとり、自宅へ戻りました。
父は落ち込むこともなく、元気そうでした。
まだ気が張っていたのかもしれません。

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息子が保育園に 〈母のこと 17〉

もうひとつのブログに書きましたが、奥さんと一緒に実家に世話になっている息子が、保育園に入ることになりました。
奥さんの回復が思わしくなく、実家のお義父さん、お義母さんも農作業が多忙になり、やむなく、と言うか、彼のために一番良い選択と考え、決めました。

1歳の誕生日を迎える前から、親族以外の方のお世話になることになったわけです。

母は長く学童保育に携わっていました。たくさんの子どもの面倒を見てきた母ですから、もし自分の孫ができたら世話をしたかったんじゃないかと思います。

今回、息子が保育園に入ることになったことと、母のやってきたことの関連を感じてしまいます。
奥さんが息子の面倒を見られないのは悲しいことですが、どこかから、私の母が息子の心配をしてくれているような気がしています。

母に「心配ないよ」と言う報告ができるよう、一日も速い回復を目指して、奥さんと一緒にがんばって行きたいと思います。

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母のこと 16

前回は、内容がちょっと横にずれてしまいました。今回は14の続きです。

1時間ほど経ったでしょうか、係の方が呼びに来ました。

火葬が終わった母の遺骨と、いよいよ対面です。
病気のせいでしょうか、母の骨は本当に小さなものになっていました。

参列いただいた皆さんにもご協力いただいて、骨壷に遺骨を納めていきます。

お疲れさまでした。
苦しかったよね。
でも、もうゆっくり休めるよ。
15年間、がんばってくれてありがとう。
何も力になってあげられなくてごめんね。
あなたのことは、絶対に忘れないから、
できたら、どこかから僕らのことを見ていてください。

いろんな思いが次から次へ湧いてきて、もう、何が何やら。
悲しくて、さびしくてたまらなかったけれども、
ほっとしたと言うか、安心したら、また涙が出てきました。

今でも、このときのことを思い出すことがあります。
母とはもう会えないということにようやく納得できたんだと思います。

骨壷を抱え、斎場に戻るためにバスに乗り込みました。
壷を収めた箱を通じて、遺骨の温かさが伝わってきました。


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母のこと 15

いささか古い話ですが、内閣府が2月16日に発表したところによると、2008年10―12月期の国内総生産(GDP、季節調整値)の速報値が、実質で前期比3・3%減、年率換算で12・7%減となったとのことです。
マイナス幅は、第一次石油危機の影響を受けた1974年1―3月期(年率13・1%減)に次いで約35年ぶりの大きさだそうです。

第一次石油危機というと思い出すのは「トイレットペーパーが無くなる」とみんながスーパーに殺到して大騒ぎになったことです。若い方はご存じないでしょうね。石油危機とトイレットペーパーがどのように結びついたのが良く分かりませんでしたが、ちょっとそれまでの不景気とは様子が違うな、ということは、パニックになっている人々の様子を報じるニュースから、子どもの私にも感じられました。

1974年の1-3月期といえば、私は高校受験を控えていました。
トイレットペーパーだけでなく、暖房用の灯油なども高騰していたと思いますが、「あんたは何も心配しないで勉強してなさい」と母に言われたことを覚えています。

そのおかげかどうか、無事志望校に合格できました。今思い出すと、母は大した人だったなー、と思います。
進学した高校で経験したことや、出会った友人は、これまでの人生の中でとても大きな価値を持つものになっています。

現在の経済状況は、それ以来の無残な状況になっています。1974年に私が感じた社会的なパニックこそまだ起きてはいませんが、年越し派遣村などのニュースを見ていると、さすがに少し心配になってきます。

でも、私が思っていることがひとつあります。息子には、母が私に言ってくれたように、「君は何も心配しないで(してないでしょうが)元気で育ってちょうだい」と言ってあげようと思います。そして、息子が何の憂いも無く過ごせるように、精一杯がんばろうと思います。

息子と会話ができるようになったら、「君のおばあちゃんはすごい人だったよ」と話してあげようと思います。
早くそんな日が来るといいな。

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母のこと 14

翌朝、借りていた部屋で目を覚ますと、雨はまだ降り続いていたように思います。
奥さんと朝食を済ませ、父を乗せて告別式のために斎場に向かいます。
ホテルに泊まった親戚の方も、無事、斎場に戻ってきてくれました。(ホテルなんて泊まったことが無い、とおっしゃる方もいたので、若干心配でした)
通夜には参加できなかった奥さんのお母さんも参列してくれました。
読経、焼香を終え、いよいよ火葬場へ移動です。雨はますます強くなっていました。

火葬場は佐野市の外れ、斎場から車で30分ほどのところにありました。
母の棺は、極めて事務的に受領され、立派な炉の中に送り込まれていきました。
まあ、あまり感情を込めて処理されても困りますけれど。

親族の皆さんと、控え室で終わるのを待ちます。
こんなときでもお腹は減ります。少しビールなど飲みながら、軽く食事をしました。

雨はますます強くなっていました。

「お母さん、雨より風が嫌いってよく言ってたね」

叔父さんや叔母さんから、何回も言われました。

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母のこと 13

お棺が閉じられ、導師の読経の中焼香が終わると、通夜の儀は終了。会食に移りました。
父親が会葬のお礼を述べ、本当に簡単ですが食事を差し上げました。社長をはじめ、会社の皆さんとようやくゆっくりと話すことができました。
早めに帰らなければならない親族(私のいとこでした)がいたのですが、義弟が運転手を買って出てくれ、佐野駅まで送っていってくれました。

外は雨が降り始めていました。

会食が終わると、明日の告別式にも参加していただく親戚の皆さんをホテルまでお送りする仕事が待っています。この時も義弟が車を出してくれました。本当にありがとう。

この日は、妹が母のそばに泊まってくれることになりました。
私と奥さん、父親は父の住まいに戻りました。

あっという間に一日が終わってしまった。もっとゆっくりお別れをしたかったような気がしましたが、当事者としては仕方が無いのかな。

(続く)

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母のこと 12

斎場に着くと、親戚の皆さんがすでに参集されていました。
この数年、父母の住んでいた栃木県佐野市は、父の出身地とも、母の出身地ともかなり距離があり、皆さんかなり遠方よりご足労かける形になってしまい、恐縮しました。最近ではすっかりご無沙汰していた方が多く、父と手分けしてご挨拶をしながら、母がどのように最後を迎えたか、皆さんにお話しました。
もっとゆっくりお話をしたかったのですが、お香典の受け取りやら、供花の注文のやり取りなど事務処理が発生し、感情が現実に引き戻されていきます。

そうこうしているうちに、会社の役員の皆さんが来てくれました。今日の導師の方も到着し、通夜の儀が始まりました。導師の方は、葬儀一式をお願いしたJAから紹介された近隣の曹洞宗のお寺のご住職でした。

新井の家の菩提寺は、真言宗のお寺です。父がお願いしたのですから仕方がないのですが…。真言宗のお経で送ってあげたかったです。

しかし、自分がこんなことを考えるようになるとは思わなかった。先祖とか、これまでのしきたりとか、大事にしなくちゃならんと思います。奥さんの実家の皆さんと接するようになって、いろいろな経験をして、新たな知識に触れ、人間、何を大切にしなくてはならないかを考えるようになったのだと思います。

お経が終わると、お棺を釘で固定する作業が始まります。母の顔を目にするのはこれが最後です。しっかり目に焼き付けようと思うのですが、涙が止まらず、だめでした。


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