コピーライターへの道36

■2014年の9月から本格化した求人への応募だったが、最初に書類選考を通って面接にこぎつけたのは12月の初めだったと思う。
■語学教材を刊行している会社で、教材の広報ツールを制作する社内コピーライターの求人だった。面接の日程を調整し、有休を取り神泉、というか東急本店近くの事務所まで雨の中、出かけて行った。
■息子の小学校内部進学のための面接は経験したいたが、自分のための面接なんて2000年以来だったので何だか新鮮だった。
■しかし面接の内容は「面接マニュアル」みたいな質問ばかりでちょっとがっかり。なぜ私に会いたいと思ったのか、ということを聞いたら、「現役のコピーライターの方の応募が初めてだったから」というようなことを言われた。どういう人材が必要なのか、あまりはっきりしていないな、という印象だった。
■まさかの適性検査なども実施され、もやもやしたままこの日は終了。残念だけれどこの会社ではやっていけないなあ、と思ったわけだが向こうもそうだったようで、次の日だったか「今回は…」というメールが来て、この件終了。
■こうして、何とかしなけりゃと思いつつ、何の進展もないまま2014年は終って行ったのだった。

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コピーライターへの道35

■コピーライターへの道33に書いた内容を、差し障りのない範囲でもう少し詳しく。2014年の夏だったと思うが、ざっくり言うと、来年の4月以降の身の振り方を考えるように、という話が会社からあった。
■その時点で56歳だったので、同級生には同じような状況を迎えている連中もいたが、彼らの場合概ね大企業勤務で、制度的にその年齢を迎えていたケースであった。
■当時所属していた会社にそんな制度があると聞いたこともなく、経営状況も良いとは言えなかったが、寝耳に水という感じだった。
■早期退職制度も提示され、会社を離れる日が近いことが現実感をもって目の前に迫ってきた訳である。33にも書いたが、56歳という年齢でもあり、いつまでもこの会社で、とは考えてはおらず、いくつか転職サイトに登録したり、転職サービス会社に1、2度話を聞きに行ってはいた。
■しかしながら、具体的なアクションは何一つ取っておらず、転職準備を始めるか、ぐらいの気持ちでしかなかった。フリーランスとしてやって行ける、と思えるほどの見通しは未だ無く、まあ、あらゆる可能性を求めていかなければならないなあ、という状況だったのだが、会社の方が気持ちのスイッチを強引に入れてくれたようなもので、9月に入って、転職活動にぐんと力が入ったのである。
■求人自体は思ったよりあるなという印象で、登録していた私のレジュメを見て「応募してください」という連絡も少ないがあった。(まあ、結局すべて落とされたのだが)
■可能性のありそうな求人にはすべてエントリし、履歴書、経歴書、制作実績を送り付けるという日々であった。

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コピーライターへの道34

■このブログには2年近く書き込みをしていなかった。前回の記事は2014年11月。サラリーマンを辞めざるを得ないというような泣き言を言っていた。
■結局その後転職、短期の会社勤務を経て昨年の8月からフリーランスとなり、何とか1年生き抜くことができました。
■息子が不安になるようなことだけはしちゃいかんと思って頑張ってきましたが、その分奥さんには負担を掛けたと思うし、今もまあ本人としては先のことはどうなることやら見当はつかない。しかし、出来ることはいろいろあることに気付くことができたのはありがたい。
■いい年してようやくか、と思う方もいらっしゃるかと思いますが、そうなんだから仕方がない。スロースターターなのは小学生の時からじゃ。
■「コピーライターへの道」なので、これからフリーランスのコピーライターとしてはどうなんだ、というような話を書いていきたいが、どうなることやら。

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コピーライターへの道 33

■ちょっと人生が落ち着かなくなってきて、このところ全く記事を書くことができなかった。
■もともと年齢が年齢なので、いつまでも今の会社で仕事を、という訳には行かないとは思っていたのだが、アベノミクス不発のせいなのかどうなのか、次のキャリアを考えねばならない日が予想よりはるかに早くやってきてしまったのである。
■フリーランスとしてやって行ける、と思えるほどの見通しは未だ無く、まあ、あらゆる可能性を求めていかなければならない、という状況なのであります。子供も小さいしね。
■あと2年頑張れば、マンションのローンが終わるので、状況はかなり変わったものになっていたのだが(生命保険の払込も終わるし)… 
■しかしまあ、仕方がない。何とか自分の力を発揮して、お金の稼げる場所を探すしかないのである。

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コピーライターへの道32

■前回の記事のタイトルが間違っていました。〈31〉でしたね。訂正します。で、〈32〉を始めます。どうでも良いようなことですが。
■前職を電撃的に解雇される直前、転職活動は何とか思うように進み、今の会社から良い感触をいただいてはいました。しかしその時、私は「転職可能年齢」と言われていた35歳を大きく超えた42歳でしたから最初から順調だった訳ではありません。
■ある会社で書類選考を通過し面接に伺った所、会っていただいたCDの方がいきなり「42歳ですか…」と言ったまま数分黙り込む、ということもありました。辛かったなあ(まあ転職できない方がはるかに辛い訳ですが)。
■現在勤務中の会社に採用されたのは、前回も書きましたがある企業の情報誌の企画・構成・取材・原稿作成を一人で担当していた60歳のライターが退職するのでその交代要員が必要だったという幸運な事情があったからです。
■20年以上一人で取材し原稿を書き、先方とのやり取りをされて来た方の代わりができるのかいな?しかも建設機械という経験のない分野で、と思いましたが、「出来るだろ」と判断されたのでしょう。なんとか入社が決定しました。
■もちろん、担当する予定のクライアント以外にも大手、中堅、中小その他さまざまな広告代理店の協力会社として非常に幅広いジャンルの案件を受注していたので、その仕事も担当してもらうということも含んでの採用でした。
■もう少し早く内定をもらえれば、前職のブラック会社を自分から逃げ出すことが出来たのですが…まあ、そんなことはともかく、路頭に迷う心配はなくなりました。しかし一時的とは言え失業状態です。ハローワークに行き求職活動をし、健保や年金の手続きに着いて確認し、食事を作り奥さんを仕事に送り出し、掃除洗濯が終わるとため息をついたりしていました。
■やはり疲れていたんでしょうねえ。見かねたのか、奥さんが「旅行へ行こう」と言って、白馬の貸別荘に泊まって、温泉に入ったり陶芸体験をしたり、バーベキューをやったりしました。ビールをたくさん飲んで、ぶっ倒れるように寝ました。
■帰る道すがら、ブルーベリー農園を見つけてブルーベリー狩りをしました。持ち帰ったブルーベリーでジャムを作りました。
■約3週間の失業期間を経て、また、コピーライターとしての生活が始まりました。

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<コピーライターへの道31>

■思い出したようにはじまるこのシリーズですが、29を書いたのが昨年の7月のようですから、1年放置ということにはなりませんでした。だから何だ、という話ですが。
■さて、次の仕事も決まり心と体を癒すために旅行に出かけていた訳ですが、その前にちょっとつまずきと言うかディスコミュニケーションと言うか。
■旅行から帰ったあと奥さんの親族の法事の予定があり、それを踏まえて次の会社への出社日を決めさせてもらっていたのですが、旅行に行く前(ハローワークに出頭する日だったと思う)に、当時在社していたADから電話があり、仕事の都合で急遽出社できないかと打診があった。
■失業のおかげ、というのも何だが、時間ができたのでそれまでできなかった用事を済ませたり、不義理をしていた方に挨拶に行ったり、全然会えなかった友達に会ってブラック会社のことを話したりしようと思い予定を入れていたし、何しろ旅行の予約をしている。法事もある。確か奥さんの祖父の百箇日(こういう習慣があります)。亡くなった時も四十九日も休める空気ではなく行けていなかったので、「絶対顔を出すように」と奥さんから厳命されていて、おそるおそる電話の向こうのADさんに「ちょっと無理です。申し訳ありません」と申し上げた訳です。
■入社前の人間にそれ以上無理強いして来ることはありませんでした。旅行と法事を終え、7月25日だったかな、初出社。同時期に入社したコピーライターがもう一人いました。話をしていたら、彼女も「出社日を早められないか?」と打診されていたようですが、断ったそうです。
■そのとき在籍していたコピーライターは我々入社組を除き、男性1名、女性2名。もう1人エディトリアル専門の高齢の男性ライターが1人。その高齢男性ライターが退職の意向を示していたので、私はその後がまということで採用されました。40過ぎてましたから、非常にラッキーだったと言わざるを得ませんね。同期入社の女性コピーライターは、少し前退職していた男性コピーライターの補充ということでした。
■それから14年が経ちましたが、私と同期の女性だけが生き残り、あとは退職。こんなに長持ちをするとは思いませんでしたが、そろそろ次のことを考えねばならない時期に来ているような気がします。

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<コピーライターへの道30>番外編

■先週金曜日(8/2)の夜、帰宅途中最寄り駅についた頃、スマホが振動。確認してみると、就職した会社で同期だったT君からfacebookのメッセージが届いていた。
■珍しいな、と思いながら確認すると、「突然ですが、Mさんが亡くなりました」という、まったく予期していなかった知らせだった。土曜日にお通夜、日曜日に告別式というスケジュールも書かれていた。
■ショックだった。T君のメッセージには「詳しいことはわからないけれど」とあり、何が起きたのかうまくイメージできず、困った。
■Mさんは、私が大学を5年かかって卒業して就職した小さな広告代理店の制作室長を勤めていた。当時40歳。優秀なベテランコピーライターで、クライアントからの信頼も厚かった。
■私は大学在学中からコピーライターに憧れ、経験もない(当たり前だが)にもかかわらず、「コピーライター志望です」といいながら、多くの広告代理店の入社試験を受け、落ちまくっていた。あまつさえ、4年生の就職活動で希望をかなえるのは無理だと考え、留年しコピーライター養成講座に通い、再び就職活動を行うというしつこさ。
■そんなバカ者を「コピーライター」として採用してくれたのが誰あろうMさんだったのだ。Mさんの決断がなければ、私はコピーライターになることはできなかったと思う。2年目の就職活動も、どこからも内定をもらえないまま12月を迎えていたし、もう1社何度か面接し、選考に残っていた代理店もだめだったら、業種や業界にこだわっていられないと考えていたのだ。

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<コピーライターへの道29>

■前回書いたように、7ヶ月の間、不安定な身分のまま、怪しい会社にありがちなワンマン社長となぜそのような権限を持っているのかわからない取り巻きの皆さんに振り回され、「辛いよう、辞めたいよう」と毎晩泣きながら暮らしていたのですが、一つだけ良いことがありました。
■自社媒体の活用法とメリットを提案し、スペースを購入してくれたお客さまのために原稿を作成する上で欠かせないのが「制作進行」。飲食店や美容室、エステやマッサージ店が主なクライアントで、お店のサービスやそのときに実施しているキャンペーンなどを告知する誌面を、短時間で取材、撮影、構成、原稿作成、デザイン作成指示、クライアント確認、修正、入稿まで行うわけです。一部クライアントでは料金の提示、交渉までやっていたので、そういう面では経験が積めたし、力もついたのではないかと思います。
■それ以前は、お客様のところで打ち合わせをすることはあっても、取材、インタビューを行ってそれを原稿として形にすることはほとんどなかったので、この会社の経験で、取材の段取りや原稿作成の仕方など、ノウハウが身につき、なんでもずけずけと聞ける度胸がついたのは良かったと思います。
■その後移った今の会社で、最初メインの仕事になったのが(というかその仕事のために採用されたようなものですが)、さる重厚長大メーカーのお客様向け情報誌の制作。そのメーカーの製品をお使いいただいているお客さまのところに赴いてお話を伺うということが多かったので、ブラック会社とは言え良い経験ができました(と無理やり思い込んでいる節はありますが)。
■解雇されたあとは、フツーの失業者の暮らしです。ハローワークに出かけて失業給付の申請をし、希望の職種(もちろんコピーライターですが)を申し述べて求人を探しました。もっとも居住地のハローワークでは「あなたの希望の職種の求人なんかないですよ」と一蹴されましたが。
■当時はまだ奥さんも元気でフルタイムで仕事をしていたこともあり、また次の仕事もほぼ決まっていたので、割とのんびりと健康保険や年金の切り替え手続きをしたりして過ごしていました。奥さんも多少は気を使ってくれ、「たまには旅行でも行こうか」と言ってくれて、長野、白馬方面に2泊3日で出かけました。
■このときの開放感と言ったらなかったなー。もう一度ああいう気分を味わいたいけれど、年金支給もどうなるかわからない今、まず無理だろうな~。もはやコピーライターへの道でもなんでもなくなっていますが、こんな経験を経て、業界の片隅でコピーだか何だかよくわからないものを書き続けてきたというわけです。

(とりあえず一度終了します)

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<コピーライターへの道28>

■件の会社には、私と同時期に入社した人も含め、自社メディアを販売する役割の「営業」担当の社員がかなりの人数が入ってきていました。しかし、最初のうちは毎日顔を見ていた人が、気がつくといつの間にか顔を見なくなるというケースがちょくちょくありました。
■まあ知名度もないメディアだし、どうも人数確保のためにあまりこの手の仕事の経験がない人もやる気があれば採用しているようでもあるし、ある程度仕方ないのかと思っていましたが、それにしてもちょっと多いな、と気になるようになってきたんですね。
■そのうち、何度か仕事を一緒にした営業の中からもフェイドアウトして行く連中が出始めます。消えて行くのは男性が多く、残っていた女性営業の何人かと話してみると、中にはまったく仕事がとれず辞めていった人間もいたものの、いつまでも正式採用されないことに不安を持ち、ほとんどが会社を去っていったようです。まあ、その後私もそういう理由で離脱を図ろうとしていた矢先に首になるわけですが。
■不安を感じてやめる人もいましたが、そうでない人もいたようです。聞いた話ですが、営業日報に記載された営業先に経営陣が電話をかけて、日報を出した営業が本当に訪問していたか確認し、少しでも日報と異なると、それをとがめて退職させたとか、アポとアポの空き時間を利用して私用を済ませたことをとがめて、ということもあったようです。(そんなこと、私もやってましたがな)
■入社して半年ほどたった頃、なかなか進展しないある案件にかかわっていたのですが(利用できるリソースについて社長が一顧だにしてくれなかったので、私もあきらめてましたが)、その責任を私にとらせるような出来事が多くなり、エーいそういうことなら、といくつかの転職先を当たり、来週は面接ウィークだ、と思っていた忘れもしない2000年7月7日金曜日、人事総務を担当している女性から呼び出され「あなたとは契約できません。本日を持って解雇します」と告げられました。
■振り向いたらダンボールに私物を詰めたガードマンが立っていた、なんて話がアメリカの会社では良くあるらしいですが、私の場合はまだそれほどドライではありませんでしたが、その翌々日、日曜日を指定され、一人出社し、その女性の監視の下私物を片付けました。
■結局7ヶ月、まあ仕事はそれなりに面白くできましたが、身分も人間関係も安定しない環境で働くのは堪えました。首になった次の週、今勤務している会社への採用がほぼ決まりました。あと一週間早ければ、と思いましたが、その場合こちらから辞表を出していたわけで、すぐに失業給付が受けられなかったので、あれでよかったのかな、と今になっては思います。

(続くよなあ…)

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<コピーライターへの道27>

■働いていたプロダクションの社長から解雇を告げられてから1ヵ月半ほど。在職のまま次の仕事を探していたわけですが、何とか入社できそうな会社が見つかりました。とは言え最初の面接でいきなり「しばらく仕事してもらった上で適性を判断したい。いつから勤められる?」と社長から聞かれるなど、よく考えれば「初手から怪しい」会社であったわけですが。(いきなり社長面接ってのもどうなんだ?)
■まだ存続している会社なので(なんてこった)あまり具体的なことは書けないのですが、私が体験したこと、あるいは実際に見たことを挙げてみます。
■試験的に2週間ぐらいだったかな、勤務した後、「試用期間」ということになりました。仕事は自社媒体をクライアントに売り込み、契約が取れたら掲載する広告誌面を提案し、制作するというもので、自社媒体の知名度がまったくないのでその点苦労はしましたが、やること自体は今まで経験したことであり、何とかやって行けるだろうと思いました。
■試用期間に、と言われたので、会社もある程度「使える」と思ったのだろうと考えていました。11月の初めから3ヶ月。そろそろ試用期間が終わる1月末になっても正式契約の話がありません。同時期に入社していた営業セクションの連中と話してみても同じような状況だったので、社長に話をしたところ、「まだ正社員の働きじゃない」だと。
■そんな話でしたか?と言ってもまともに取り合ってくれません。いろいろ言い訳をしつつ、「あと1ヶ月様子を見よう」と言い出しました。う~ん、これはどうも、と思い職探しを再開するわけですが、結局この年の7月に解雇(今考えても悔しいぞ)されるまで、正式契約にはいたりませんでした。何だったんだ一体。
■そしてこういう体験をしているのは決して私だけではなかったのでした。

(続いちゃうか)

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